黒いドレスでセスナに乗った笑い話

1.「格納庫で」

おーい。どうしたっていうんだ。そんな裏返った声出して。
ん。何?赤いハイヒールを片方見つけた?
ハハハ。そりゃあ、セスナのシートの下でそんなものみつけちまったら、 そういう声も出るってもんだな。ハハハ。そうか。そんなところにあったのか。
俺が何故驚かないのかって?
ハハハ。 持ち主を知ってるからさ。
それに、もう片方は、五年前から俺のロッカーの中だ。
わかった。わかった。
整備が終わったら、その話をしてやるよ。
お前はまだ腕がないんだから、座席の掃除くらいはしっかりしておくんだぞ。

2.「話」

そう急かすなよ。まずはコーヒーを一杯だ。
なんだ、その顔は。待てないヤツだなあ。
…、おまえも知ってるだろう?
所長がデスクに飾っているカレンダーの。あの女優のさ。ハイヒールは、彼女が履いてたんだ。
5年前からずっと、シートの下にあったっていう訳か。気が付かなかったよ。
そうか。なかなか取り出せないくらいしっかり嵌め込んであったのか…。
ハハハ。そんなにビックリするなよ。
あんまり知られちゃあいないが、彼女は、この近くの湖の東の町の出身なんだ。 おまえは、海の町の方からか来たんだったよな。
だから聞いたこともなかったんだと思うが、ここじゃあ応援している奴らも多いぜ。
彼女、何年も芽がでなかったんだが…、あれは、新進の監督が撮った映画に出たのが評判になってマスコミに顔を出し始めた頃だったなあ。
舞台でのラストシーンが話題にもなって騒がれていたっけ。
このセスナに乗ったんだよ。
どういう訳でかって?
ホントに待てないヤツだなあ。話してやるから、タバコの一服くらいさせろよ。

3.「急な依頼」

電話が鳴ったのは、 午後4時くらいだったかな。遊覧飛行の最後の客がもうしばらくしたら戻って来るって頃さ。
俺は前の晩に珍しく熱を出しちまって、非番にしてもらってたんだが。
所長のヤツ、熱があろうが葬式があろうが、すぐにすっ飛んでこいって、えらい騒ぎだったなあ。
俺の車が駐車場に入るのと、マネージャーが運転する白いワゴンが飛び込んでくるのが同時だったな。
女優を乗せて200キロを飛べって言う話さ。
一時間前に乗るはずだった特急列車を追い越して、スタジオでの撮影に間に合わせろっていう無茶な依頼だ。

4.「わがままな女優」

マネージャーのヤツ、カンカンになっていたなあ。
普段は素直ないい子なのに今日はいったいどうなってんだってな。
午後の舞台のラストシーン。
二階の窓から男の腕に飛び降りてくるっていうところで足を挫いていたらしい。
平気な顔でカーテンコールをすませて、楽屋に戻る途中に痛いって騒ぎ出したんだそうだ。
背中も痛い、腕もおかしい、もう身動き出来ないとかなんとか。
すぐに医者にっていう勧めに、このくらい平気だからって頑として承知しなかったんだそうだ。
そのくせ列車に間に合わなくなる頃になって、痛みがひどくなってきた、やっぱり医者へなんてうめき出す。
仕方ないから、かなり怒りをこらえながら夜のスタジオ撮影をキャンセルする電話をかけようとしたら、今度は、雑誌の表紙を飾るチャンスを逃したくないってわめきだしたんだそうだ。
怒鳴ったり泣いたりのうちに、列車は出発しちまったといういうわけらしい。ハハハ。
マネージャーとしてみたら、もちろんビッグチャンスを捨てたくはないさ。
最後の手段がセスナでの移動っていうわけだ。
それにしても、笑っちまうなあ。
ここに着いた時には、彼女、痛みなんてどこ吹く風さ。
自分で車から降りると、走って来たぜ。
黒いドレスの裾を派手に持ち上げてな。
白い素足に赤いハイヒール、いたずらが上手くいった子どもみたいに笑っていたなあ。
華奢な肩にかかった髪が風になびいて、映画でも見ているみたいだった。
ワハハハ。

5.「フライト」

とんでもない女だって? ハハハ。まあ、そう言うなよ。続きを聞いたら、おまえ、もっと怒るに違いないからな。
アッハッハ。
その前に、コーヒーをもう一杯かな。甘くしてくれ。
さあ、飛ぶぞっていう段になってさ、彼女叫んだんだ。
「向こうの空港に車の手配をしてないわ!」ってさ。
マネージャーのヤツ、青ざめて電話を取り出したよ。
離陸前のエンジン音の中で、話が通じる訳ないよな。
そこで、彼女のもう一声だ。「降りてっ!」って、すごい剣幕だったぜ。
マネージャーが飛び降りて走り出すのを見て、俺はすぐに機体を発進させたよ。
奴の、間が抜けたような凍りついたような顔が、あっという間に視界から消えて、俺とワガママ女優は空の上さ。
傾いていく夕日の中、空港も町も湖も、煌めきながら小さくなっていったよ。
ほんとうに美しい夕暮れだった。
遠くの海に燃えるような太陽が落ちると、西の空に金色の一番星。
街にあかりが次々にともっていった。

6.「理由

なんだ。目を丸くしてるな。アハハ。
おまえ、まだ分からねえんだな。ハハハ。しょうがねえなあ。
彼女は、俺と二人っきりのフライトをするために芝居をしたんだよ。
女優とも思えないようなメチャクチャな芝居をな。
あいつ、俺に約束を守らせたんだ。
おい。まだ目を丸くしてるのかよ。はぁ。
まあ、そりゃあ、そうか。ハハハ。
約束があったんだよ。
一人前の女優になったら、俺の翼に乗せて飛んでやるよっていう、・・・忘れそうなくらい昔の言葉さ。
泣き虫だったあいつが、この土地を出て行くのを俺に告げて、そのまま列車に乗った日のことさ。
俺はまだ空に憧れているだけの若造だった。
おまえみたいな見習いにさえまだなっちゃいなかった。
女友達は何人かいたんだが、アイツは特別だったんだ。
気が弱くて言いたいこともなかなか言い出せないようなやつで、ほっとけなかったんだ。
でもそれはアイツ自身には伝わっていなかったんだろうな。
まさかそんな思い切ったことを一人で決めていたなんて思いもよらなかったよ。
ずっと、そばにいるって勝手に決めていたんだな、俺は。
いきなりとんでもないことになっちまったっていう混乱のなかで、精一杯カッコつけて言えた言葉が、それだけさ。
つぎのデートは空の上だな、なんて笑いながらな。
ほんとうに言わなきゃいけない言葉は言えずじまいさ。
ハハハ。
とうの昔に忘れてると思っていたよ。
俺自身だってとっくに忘れていた。

7.「ラストシーン」

空が暗くなるまでの、ほんのわずかな時間のフライトだった。
セスナのエンジンが止まった時、迎えのクルマはもう滑走路まで来ていたよ。
アホヅラのマネージャーが手配した奴らが、カメラマンやら記者やらまでゾロゾロ引き連れて来ちまっていた。
俺の時間は終わったと思ったんだ。
立ち去ろうと背を向けた時、アイツが俺の名前を呼んだんだ。
振り向いて驚いたよ。翼の上に立っていたんだ。長い髪と黒いドレスの裾をなびかせてな。
そして、赤いハイヒールを思いっきり俺に投げつけたんだ。
見事に命中したよ。痛かったぜ。
…よけるわけにいかないじゃないか。
「これがワタシの気持ちよ!」なんて叫びながら投げてきたんだからな。
次の瞬間、なんのためらいもなく飛び降りてきた黒いドレスを、俺はちゃんと受け止めたよ。
そのまま地面に倒れちまったけどな。
俺のためのラストシーンだった。
だから、抱きしめたまま、あの時言えなかった言葉をずっと囁き続けたんだ。
やつらが彼女を引き離して連れて行ってしまうまで、ずっとだ。

8.「エピローグ」

雑誌の表紙を飾った彼女はとてもいい表情をしていたよ。
黒いドレスのままで、マネージャーを置き去りにしてセスナで飛んだ話に、空港で芝居のラストシーンを演じたエピソードも加わって大評判さ。
あっという間に超売れっ子になっていった。
何?
マネージャーとアイツが仕組んだ売り出し作戦だったんじゃないかって?
ガハハハ。
そういうことを言う奴らもいたさ。俺も、それでよかった。
だけどな。
さっきおまえが見つけてくれた赤いハイヒールは、座席の下にしっかり嵌め込んで取れないようにしてあったんだろ?
それに、アイツは最後のセリフを変えていた。
あの芝居の本当のセリフは「こんなもの、いらない!」だったはずだ。
俺と一緒に飛びたかったんだよ。アイツは。
そうだろ?
           〜 〜 END 〜 〜

          ショートショート物語  作者 : マッシュ